鏡真人作品集

大正11年生まれの鏡 真人(きょう まさと)の作品集です。戦中戦後の激動の時代の思いを、詩や短歌で綴っています。

詩集

朝顔の花

かすかにも 霧はながるる 柿の実の いまださ青き 破れ垣の のこりの花や 紅いろの 朝顔ふたつ きぞの夜の 雨にうたれて はたと落つ 秋のひかりよ 風なおくりそ かくは空しく 忘られて 散りにしものを (昭和二十六年九月)

彫像

あとは眼だけです あの蠱惑な碧を ちょいちょいと二点 うちつければ この彫像は完成です ごらんなさい ざらざらしたあの野蛮な皮膚を こんなすべっこい肉体に改造した わたしの手並は大したものでしょう この手はちょいと骨折りました 無理に曲げればポキリ…

祈り

ひからびた唐もろこしの葉っぱが だらだらと首をふり いちめんに黄色っぽい畠に立って まぶしい夕ぐれを眺めている人よ 忘れ去った五年の月日が ぐっと身近に迫るように 雲があなたを吸いよせるのか ものがなしい日でりの空に むらさきの雲がただよい 死んだ…

六月風

その日も亡国のうたながれ 濠の水はにぶい光をただよわせ 無心の風のおとずれを聞いた ぶきみにどんよりと重い水は沈み 沈みきったその奥のいっそう蒼白い世紀のかげを ひったりとつつみながら 風の烈しい抗議を聞いた あぶらぎった宮殿の神秘を 日とともに…

秋山賦

おもおもと 霧煙る朝の のぼり路を 汽笛するどく 鳴りわたりゆく ゆたゆたと 日の輝きに 紅葉せる 石ころ路を 登りゆくかも 赤き山が 聳えたつ見ゆ この山の 中腹にして 雲はおこらむ みづうみは 眼のしたにして開けたり このすすき野の 穂のひかりかも さん…

金魚のうた

このぎゃまんの獄(ひとや) とばり重く垂れ あかあかと尾ひれみじかく ひょうひょうと飛ぶは いかにもこれは汝れが夫(つま) 眼いよいよ爛として内に燃ゆるもの 全身これことごとく黒衣なるは汝れが妹(いも) われら捕はれの身にしあれば 天を仰いで嫋々…

こけしのうた

こけし わがやのこけし いま いろあせ たたずみて たんすのうへに これやこれ みやげものやの かたすみに ほほあひよせ ねむりゐたる めをとの こけし てのひらに かざしみれば ゆらゆらと うなじくゆらせ こびをふくみて ほほゑみし ふるきものよ こけし さ…

病みしとき

紅く大きく ダリヤ花咲く 家の土 ひさびさに踏む 幼な子抱きて 子どもらは 看護婦などにせぬといふ声 ものあらふ音に まじりて聞ゆ ブルドーザの ひびき止みゆきし 安静時 ほそく澄みつつ 風鈴鳴るも 退院を 許されざりし 少年の 声泣きやまず 暑き病舎に 平…

デンキとタヨウのうた

この日 父かえれば 三歳の子は まわらぬ舌にてうたうなり もしもしィ デンキで さアさやく コブタリィさん*1 この節まことに妙味あり たくまざるうま味あり 愚かなる父親は 父に似て髪うすき子の頭を撫でつ さて 達者なる二世に問いぬ 汝が歌いとも巧みなり …

友情について

- 神谷良平兄に 遠くへ行ってしまうという友よ かつてぼくが君であり 君がぼくであった はるかな時代・・・ それは神話だったろうか いや いや そのまま生きつづけたぼくらにとって 狂おしい一頁は過去ではない 薄倖な詩人が愛した そのやさしい 田舎町へ行…

牛乳のうた

むこうから一升瓶がゆれてくる まっ白い液体がゆれてくる ふた月ばかりまえに生まれた 孫の小っちゃい口のなかに ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ流し込む 新鮮な栄養を運んでくる婆さんよ 俺たちがさっき流しこんだのは どろどろした舌ざわりのよくない雑炊 ざら…

門出

これから 出発する あなたたちよ この 秋の陽ざしは 何とまあ あたたかい やわらかい なつかしいいろを しているだろう それは 澄んでいるが 冷たくはない 明るいが 派手ではない じいんと 胸にしみこんでくる この 陽ざしのなかに 若く たのもしい あなたた…

色紙

いま わたしは色紙を買いにゆく 舗道わきに 生い茂った雑草が しだいに 弱って あんなにも 勢いのよかった 濃緑が ほとんど 黄色に変わりかけている 時雨である わたしは 身をすくめる 傘の向きは わたしの意のままにならない 風が あんまり烈しいから わた…

坊っちゃんに寄す

先頃テレビ文学館なる連続放送あり 夏目漱石作坊っちゃんなり 原文通りの朗読なりしが 少しの無理もなく現代に通用するを知り改めて感嘆せり また風間完画坊っちゃん像も極めて秀逸なり 眉あげて 昂然と立つ 然れども 幼さ残る 坊っちゃんの顔 坊っちゃんは …