鏡真人作品集

大正11年生まれの鏡 真人(きょう まさと)の作品集です。戦中戦後の激動の時代の思いを、詩や短歌で綴っています。

見渡すかぎりの人の波である

 

この広いスティションは

出征兵士で

それを送る人で

正に立錐の余地もないほど

ギッシリと埋まってゐる

波 波 波である

私はその人波の中を

轟々たる 話声 雑音 騒音の中を

それらの 尊い 喜ばしい

お目出たい喧噪の中を

もまれ おされ

もまれ おされて

あッち こッちとよろめいて歩いてゐる

実際

これは大変な人出である

男 女 老人 子供

母 妹 父 兄 弟 姉 友

それらの

雑然たる人の波である

統一ある人の波である

旗 旗 旗

出征兵士

その人波の中で

私はひとつの顔を見たのである

よく知った顔である

よく知ってゐるどころか

私の最も親しい友人の顔なのである

 さうだ Gなんだ

私は胸がとどろいた

しかし 人違ひである

しかも

あり得べくもない 突拍子もない

全くの 人違ひである

彼は

Gは出征してゐるんだ

今年の正月入営して

間もなく大陸にわたり

一兵士として戦ってゐるんだ

戦地

激しい戦のあるところ

そこで彼奴も戦ってゐるんだ

いや 待てよ

戦ひはやってゐないかな

しかし ともかく

戦地へ行ってゐるんだ

そのGが此所に居る筈はない

さう気がついて

私は笑った

自分のドキッと驚いたことが

とてつもない人違ひをしたのが

全くをかしかったのである

しかし何と似た面構へだ

黒い頭が重なりあった

その七つ八つ向ふにゐる

彼の・・・名は知らぬ 友によく似た・・・

彼の顔を

今度はおちついて眺めた

茶色のオーバ

青いソフト

それさへ似てゐるのに

第一 その大きな眼

負けず嫌ひらしい口もと

似てゐる

実によく似てゐる

私は感心し 友を思った

昨年 いや一昨年だった

もうそんなになるんだなあ

友は国もとに事情があって

ひとりで東京から帰って行った

けれど 今年のはじめ

彼が入営を前にして

はるばると上京し

私の家を尋ねたとき

彼と私とは

あの木枯らしのピュウピュウ吹く

寒い浅草を歩いたんだ

肩を並べて

仲良く話合ひながら

飯も食った 紅茶も飲んだ

映画も見た 将棋もやった

さうして

彼奴はその日

泊れ泊れと私が言ふのを聞かずに

ピュウピュウと風吹く中を

田舎へ帰っていったんだ

それから入営

今では立派な兵隊さんである

一人前の軍人である

大君のみ盾である

さうして 彼は勿論

私の最も愛する友人である

彼は戦ってゐるんだ

命を投げ出して戦ってゐるんだ

さうだ

私は眼をあげて見廻した

何だか 何処かで

彼奴の声が

聞えさうに思ったからである

 

前も 後ろも

右も 左も

いっぱいに人の波である

雑然たる 統一ある

出征兵士を送る人波である

 

(昭和十七年十一月)

  

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修学旅行 皇居にて