旗
見渡すかぎりの人の波である
この広いスティションは
出征兵士で
それを送る人で
正に立錐の余地もないほど
ギッシリと埋まってゐる
波 波 波である
私はその人波の中を
轟々たる 話声 雑音 騒音の中を
それらの 尊い 喜ばしい
お目出たい喧噪の中を
もまれ おされ
もまれ おされて
あッち こッちとよろめいて歩いてゐる
実際
これは大変な人出である
男 女 老人 子供
母 妹 父 兄 弟 姉 友
それらの
雑然たる人の波である
統一ある人の波である
旗 旗 旗
出征兵士
その人波の中で
私はひとつの顔を見たのである
よく知った顔である
よく知ってゐるどころか
私の最も親しい友人の顔なのである
G さうだ Gなんだ
私は胸がとどろいた
しかし 人違ひである
しかも
あり得べくもない 突拍子もない
全くの 人違ひである
彼は
Gは出征してゐるんだ
今年の正月入営して
間もなく大陸にわたり
一兵士として戦ってゐるんだ
戦地
激しい戦のあるところ
そこで彼奴も戦ってゐるんだ
いや 待てよ
戦ひはやってゐないかな
しかし ともかく
戦地へ行ってゐるんだ
そのGが此所に居る筈はない
さう気がついて
私は笑った
自分のドキッと驚いたことが
とてつもない人違ひをしたのが
全くをかしかったのである
しかし何と似た面構へだ
黒い頭が重なりあった
その七つ八つ向ふにゐる
彼の・・・名は知らぬ 友によく似た・・・
彼の顔を
今度はおちついて眺めた
茶色のオーバ
青いソフト
それさへ似てゐるのに
第一 その大きな眼
負けず嫌ひらしい口もと
似てゐる
実によく似てゐる
私は感心し 友を思った
昨年 いや一昨年だった
もうそんなになるんだなあ
友は国もとに事情があって
ひとりで東京から帰って行った
けれど 今年のはじめ
彼が入営を前にして
はるばると上京し
私の家を尋ねたとき
彼と私とは
あの木枯らしのピュウピュウ吹く
寒い浅草を歩いたんだ
肩を並べて
仲良く話合ひながら
飯も食った 紅茶も飲んだ
映画も見た 将棋もやった
さうして
彼奴はその日
泊れ泊れと私が言ふのを聞かずに
ピュウピュウと風吹く中を
田舎へ帰っていったんだ
それから入営
今では立派な兵隊さんである
一人前の軍人である
大君のみ盾である
さうして 彼は勿論
私の最も愛する友人である
彼は戦ってゐるんだ
命を投げ出して戦ってゐるんだ
さうだ
私は眼をあげて見廻した
何だか 何処かで
彼奴の声が
聞えさうに思ったからである
前も 後ろも
右も 左も
いっぱいに人の波である
雑然たる 統一ある
出征兵士を送る人波である
(昭和十七年十一月)