鏡真人作品集

大正11年生まれの鏡 真人(きょう まさと)の作品集です。戦中戦後の激動の時代の思いを、詩や短歌で綴っています。

見渡すかぎりの人の波である この広いスティションは 出征兵士で それを送る人で 正に立錐の余地もないほど ギッシリと埋まってゐる 波 波 波である 私はその人波の中を 轟々たる 話声 雑音 騒音の中を それらの 尊い 喜ばしい お目出たい喧噪の中を もまれ …

出陣の賦

- この一篇を相楽(さがらか)の同志 神谷博君に献ず ー 神武創業の源にかへさんとする 帝国が悲願 漸く近きに成らんとして さんさんたる太陽昇天の朝 草莽の臣 此方に再び令状を拝す 感全身にみなぎりて 意述べんとして述ぶるに能はず 噫我二十有四歳 故あ…

幼子に

幼子よ! お前たちの生まれたのが 間違っていたのだろうか お前はいま お前の貧しい母親のふところで 無心にねむっているけれど お前のこれからを考えると お前の両親の心は暗い お前の父と母とが 根かぎり働いても 生活を支えることが出来ないほどの こんな…

志尚

われかつて友と住みにき その部屋狭く汚れて貧し 六畳と二畳つづきに 新聞紙 雑誌 灰皿 ペン インク 鍋 電熱器 反古 写真 屑かご 布団 いささかの米 味噌 野菜 整然と! 乱れてありぬ 乱れつつ散りたるなかに 混沌と懐疑は住めり 混沌はわが性(さが)にして…

桜を伐る音

桜を伐り倒す音がする とおあん たあん とおあん たあん 荒れ果てて だだっぴろい子供部屋だ 窓という窓には ぎっしりと板を張りつめ 扉という扉に 固く錠をおろし 夜のように静まりかえった 地主の家だ みんな 行ってしまった わしの ことを 忘れて いった…

奔馬を思う

あのごうごうたる音は何だ あの凄まじい怒号は何だ まるで太陽そのもののように ぎらぎらした両眼に血をふかせ 泡をふき 渦をまき 砂塵をあげ 前進を汗みどろにして奔る 素晴らしく巨大で闇黒な生きもの 怒りと 血と 太陽と 砂塵と 盲目の意志と それらをひ…

雑草

コンクリート塀のうす暗い影の中から やせた雑草がヒョイと眼をさまし 春にむかって大きなあくびをする ふうわりとした光線のなみに ひょろひょろの地肌をのぞかせ ごつごつした小石や瓦のうえに のびきれないしなびた影をつくり 雨にうたれ雪にたたかれ 死…

春の回想

ととん ととん と 風が硝子を吹くのです それだのに 月は冴えかえって 生きているみたいに 光っているのでした ぶるうぅん ぶるうぅん おびえた若者の 魂をかきたてて そこらいっぱい 焼夷弾が降っています 食卓には食べのこした味噌汁が ひいやりと澄んで …

盲目の思想

雲よ きれぎれの思想を発散させ 片輪のよろこびを押売りしながら どうしてそんなに気取っているのだ 蠅が玉子を生みつけるよりも もっと簡単に生まれ あぶらぎって ぎらぎらと嘲笑う太陽と結婚する 盲目のいきものよ ぼろぼろの白骨が みずみずしい血潮でぬ…

ビラを撒く

此所からは駅がよく見える 下りの電車がごうごうと走ってくる 扉が開かれ 涼しい白シャツの若者たちが ゾロゾロと降りたち 階段を昇るところまで手にとるようだ 昨夜の烈しい雨は あとかたもなく拭いさられ この澄みきった空のいろを見るがいい ほんとうに心…

まっさおな顔が講和を迎える

どろどろした腐肉かなんぞのように 重ったるい炭酸ガスがよどみ そのなかからひとつの顔が浮び・・・ 鋭い刃物を蔵いこみ べっとりした油で ぴかぴかと光っている歯車のかげから まっさおな顔が浮び・・・ もりこぼれるビールの泡をごくごくすすりあげ 南京…

朝顔の花

かすかにも 霧はながるる 柿の実の いまださ青き 破れ垣の のこりの花や 紅いろの 朝顔ふたつ きぞの夜の 雨にうたれて はたと落つ 秋のひかりよ 風なおくりそ かくは空しく 忘られて 散りにしものを (昭和二十六年九月)

彫像

あとは眼だけです あの蠱惑な碧を ちょいちょいと二点 うちつければ この彫像は完成です ごらんなさい ざらざらしたあの野蛮な皮膚を こんなすべっこい肉体に改造した わたしの手並は大したものでしょう この手はちょいと骨折りました 無理に曲げればポキリ…

祈り

ひからびた唐もろこしの葉っぱが だらだらと首をふり いちめんに黄色っぽい畠に立って まぶしい夕ぐれを眺めている人よ 忘れ去った五年の月日が ぐっと身近に迫るように 雲があなたを吸いよせるのか ものがなしい日でりの空に むらさきの雲がただよい 死んだ…

六月風

その日も亡国のうたながれ 濠の水はにぶい光をただよわせ 無心の風のおとずれを聞いた ぶきみにどんよりと重い水は沈み 沈みきったその奥のいっそう蒼白い世紀のかげを ひったりとつつみながら 風の烈しい抗議を聞いた あぶらぎった宮殿の神秘を 日とともに…

金魚のうた

このぎゃまんの獄(ひとや) とばり重く垂れ あかあかと尾ひれみじかく ひょうひょうと飛ぶは いかにもこれは汝れが夫(つま) 眼いよいよ爛として内に燃ゆるもの 全身これことごとく黒衣なるは汝れが妹(いも) われら捕はれの身にしあれば 天を仰いで嫋々…

こけしのうた

こけし わがやのこけし いま いろあせ たたずみて たんすのうへに これやこれ みやげものやの かたすみに ほほあひよせ ねむりゐたる めをとの こけし てのひらに かざしみれば ゆらゆらと うなじくゆらせ こびをふくみて ほほゑみし ふるきものよ こけし さ…

デンキとタヨウのうた

この日 父かえれば 三歳の子は まわらぬ舌にてうたうなり もしもしィ デンキで さアさやく コブタリィさん*1 この節まことに妙味あり たくまざるうま味あり 愚かなる父親は 父に似て髪うすき子の頭を撫でつ さて 達者なる二世に問いぬ 汝が歌いとも巧みなり …

友情について

- 神谷良平兄に 遠くへ行ってしまうという友よ かつてぼくが君であり 君がぼくであった はるかな時代・・・ それは神話だったろうか いや いや そのまま生きつづけたぼくらにとって 狂おしい一頁は過去ではない 薄倖な詩人が愛した そのやさしい 田舎町へ行…

牛乳のうた

むこうから一升瓶がゆれてくる まっ白い液体がゆれてくる ふた月ばかりまえに生まれた 孫の小っちゃい口のなかに ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ流し込む 新鮮な栄養を運んでくる婆さんよ 俺たちがさっき流しこんだのは どろどろした舌ざわりのよくない雑炊 ざら…

門出

これから 出発する あなたたちよ この 秋の陽ざしは 何とまあ あたたかい やわらかい なつかしいいろを しているだろう それは 澄んでいるが 冷たくはない 明るいが 派手ではない じいんと 胸にしみこんでくる この 陽ざしのなかに 若く たのもしい あなたた…

色紙

いま わたしは色紙を買いにゆく 舗道わきに 生い茂った雑草が しだいに 弱って あんなにも 勢いのよかった 濃緑が ほとんど 黄色に変わりかけている 時雨である わたしは 身をすくめる 傘の向きは わたしの意のままにならない 風が あんまり烈しいから わた…